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境内神社

八幡神社♦ 祭神 神功皇后品陀和気命(応神天皇)

八幡神社は、鶴﨑神社の本殿と並んで祀られており、都窪郡誌また、当社由緒によると、祭神の八幡大神は石清水八幡宮か
らの勧請で、神功皇后が三韓征伐のとき、早島の海岸の船泊りでご休息遊ばされたので、里人が光栄に思い正中年間(鎌倉
後期)に屏風島へ小社を建立して、神功皇后と御子である品陀和気命(応神天皇)を祀り、元中元年(1384)に鶴﨑神社本
殿と並べて再建したと伝えられています。
また、神社明細書及び都窪郡誌には、八幡神社の祭神として武日方別命の記述が見られる。武日方別命は、伊邪那岐命・伊
邪那美命が産んだ国産み六島の一つ「吉備児島」の又の名です。


八幡神社

鹿島神社♦ 祭神 武甕槌命 

創建年代は不明ですが、寛文年間(1661〜1673)までは当社の神宮寺となっており、性徳院(倉敷市中庄)の別当が奉仕
していました。
祭礼には吉備津神社から奉幣使が参向していましたが、同年間から廃止されました。
正徳五年(1715)安原和泉守草壁徳忠の本願により再建され、その建築様式は御堂形式で古くは毘沙門天を祀っていた事か
ら、毘沙門堂と呼ばれていました。
毘沙門堂に祀られていた毘沙門天は高さ三尺の木像で、安置当時は彩色が施されていました。神宮寺が廃止されてから後、
勧請の過程は不明ですが、武甕槌命を勧請して鹿島神社と名称を変更し、平成十二年屋根の老朽化により現在の社殿に改築
されました。


鹿島神社

稲荷神社♦ 祭神 倉稲魂神 

備中誌によると、性徳院(倉敷市中庄)の預かりとなっていましたが、寛文六年(1666)頃から神社で奉仕する事となりま
した。
また、都窪郡誌によると、池田大学の家来の高田宗竹が、鎮守として祀っていたが、正徳年間(1711〜1716)に当社の末
社となりました。
祭神は倉稲魂神で五穀豊穣や食を司る神です。
中世から近世にかけて工業が興り、商業が盛んになると、稲荷の神格も農耕神から殖産興業神、商業神、屋敷神と拡大し、
「衣食住の大祖、万民豊楽の神霊」と仰がれ農村だけでなく、大名、町家の随所に稲荷神が勧請されるに至りました。
稲荷とキツネの関係は祭神の一名であるミケツカミとキツネの古名「ケツ」との音通から三狐神(ミケツカミ)の字をあて
たとされます。


稲荷神社

金刀比羅神社♦ 祭神 大己貴神

東太田家文書によると、文政元年(1818)造営とあり、大己貴神(大国主神)を祀っています。社の中には金比羅大権現と
彫られた石があります。
金刀比羅神社の本社は金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)で、大物主神(大国主神)を主祭神とする神社であり、特に海
上安全に霊験があるとされ、漁業関係者や船員などにより信仰されています。
当社の金刀比羅神社の社殿下には丸い石が置かれており、その石を撫でると聡明になる謂われがあり、密かな信仰者がいま
す。


金刀比羅神社

神功皇后宮♦ 祭神 息長足比賣命大鷦鷯命玉依毘賣命

祭神は息長足比賣命(神功皇后)と、大鷦鷯命(仁徳天皇)と玉依毘賣命の三柱を奉斎しています。
社殿内に「明治三年八月一日末社神功皇后宮奉斎・祭日四月十五日」とある事から、明治になってから新たに祀られたもの
と思われます。


神功皇后宮

素盞嗚神社♦ 祭神 素盞嗚命

素盞嗚命は天照大御神の弟神で、黄泉の国から帰った伊邪那岐命のが禊をして鼻を洗った時に生まれた神で、古事記には建
速須佐之男命と記されています。
素盞嗚命は高天原を追放された後、出雲国に降り立ち、村人を苦しめる頭が八つ、尾が八つある八岐大蛇を退治しました。
この勇敢な神を人々は崇敬し、各地に素盞嗚命を祀る神社を建立し、備中地方ではその偉業を讃え、後世に残すべく「備中
神楽」が考案され、毎年各地で奉納されています。


素盞嗚神社

御霊神社 祭神 日清戦争、日露戦争、大東亜戦争の戦没者の英霊

当社では英霊社とも呼ばれており、戦没者の英霊を祀る護国神社の事です。
祭神は、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争の戦没者の英霊を奉斎しており、祭典は慰霊祭として十一月に行われています。
社殿は、国立療養所岡山南病院(現独立行政法人国立病院機構南岡山医療センター)内の傷痍軍人医療施設に祀られていま
した奉安殿(天皇皇后の御真影と教育勅語を納めた建物)の社殿及び玉垣を昭和二十二年に遺族会の奉仕により、現在の地
へ移設しました。移設当初の屋根は檜皮葺きでしたが、後に銅板に葺き替えが行われました。


御霊神社
飛び地境内神社

若宮神社 祭神 若宮大神

鎮座地 都窪郡早島町若宮22-2
若宮とは、幼少の皇子または貴人の子を指す言葉ですが、これが転じて親神に対する御子神及びその神社を指すようになりました。更に本宮を他所に勧請して祀った神社を指すようにもなりました。
若宮神社は若宮団地の丘陵に鎮座しており、昭和三十八年一月に鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。また、昭和四十五年〜四十九年にかけて若宮団地が造成されたのに伴い、現在の若宮公園の一角に社殿を改築して移されました。


若宮神社

厄神社♦ 祭神 武速須佐之男命

鎮座地 都窪郡早島町若宮25-10/25-11
厄とは、災難の事で、災難を逃れるために各地で須佐之男命を祀りました。
厄神社は若宮神社同様に、若宮団地のあった丘陵に鎮座しており、昭和三十八年一月に鶴崎神社の飛び地境内神社として合
併されました。また、若宮団地造成に伴い、現在の場所に移されました。


厄神社

鹿野四郎神社♦ 祭神 鹿野四郎神

鎮座地 都窪郡早島町早島611-3
鹿野四郎神社(しかのしろうじんじゃ)は無津地区では村神様として信仰されて来ました。
「むかし、備前の殿様がこのあたりで狩りを催したとき、一匹の白狐を射止めた。ところがその後、家中で不幸がが続いた
ため、これは白狐の祟りかもしれないということで、この地に丁重に祀った。」という話が神社に伝えられています。
昭和三十八年一月に鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
昭和四十二年〜四十六年に建設された岡山バイパス(現国道二号線)の造成に伴い、丁度計画道の真上にあった為に現在の
場所に移されました。


鹿野四郎神社

大藏神社♦ 祭神 日本武尊

鎮座地 都窪郡早島町早島628
大藏神社は小祠ですが、古くから無津の氏子により手厚く祀られて来ました。
昭和三十八年一月に鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。境内には大きな一対の注連柱と石灯籠があります。


大藏神社

荒神社 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町早島682
荒神社は、古くから無津の氏子により守られており、平成十一年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
本殿の老朽化及び内部の修理のため、改築する事となり平成十八年改修工事が完了しました。例祭は毎年十月二十七日に、
氏子の当番が参列して執行されます。


荒神社

遠景

稲荷神社♦ 祭神 宇迦之御魂神

鎮座地 都窪郡早島町早島544
稲荷神社は無津の大きなクヌギの木に囲まれた林の中に祀られています。昭和三十八年一月鶴崎神社の飛び地境内神社とし
て合併されました。
社殿が老朽化した為にコンクリートブロックで作られた覆殿の中に祠を安置していましたが、平成十八年荒神社本殿の改築
時に宮形を新調しました。


稲荷神社

荒神社♦ 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町早島825-2/824-3
荒神社は昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
以前は真磯団地の丘陵に祀られていましたが、同団地の造成に伴い、昭和四十五年現在の地に流れ造り銅板葺きの社殿を改
築して移されました。
祭典は他の荒神社同様十月二十七日でしたが、現在は十月第四日曜日に、真磯団地、市場松尾上、市場松尾下組合の氏子に
より執行されています。


荒神社

船越神社♦ 祭神 船越大神

鎮座地 都窪郡早島町早島215-5
船越神社は、船越大神を祭神として祀り、船越一族二十一戸の氏神として守られており、次の二通りの縁起が伝わっていま
す。
①神功皇后が三韓征伐の往路、早島を迂回して進むには時間が掛かるので、島民が船を担いで松尾坂を越え、無事出発する
事ができた功績により、船を担いだ島民に船越の名を授けた。
②早島が未だ瀬戸内に浮かぶ小島であった頃、吉備津彦命が四道将軍の一人として西道(吉備国)に派遣されその行幸のと
き、命の乗った船が妹尾村のあたりで干潟に隔てられ着岸困難となった。その時、島民の大河という者が力を尽くし、無事
着岸する事ができた。命は大河を呼んで「船越」の別称を授けた。
その後、大河は船越と改姓した。船越の死後、その子孫は船越大神と篤く崇敬して社殿を建立し、手厚く祀った。
寛永五年(1628)に早島町市場松尾に社殿を移築。平成十一年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
平成十二年、県道早島吉備線の拡幅工事に伴い、神社の移転を余儀なくされ、境内地を県道東側斜面に移転して社殿を改築
しました。
五月二十五日(春祭)、十月二十五日(秋祭)には、船越一族が参集し、祭典を執り行っています。


船越神社

荒神社♦ 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町早島127
荒神社は昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
塩津の安原備中守供養塔上手に土塀を巡らせて祀られていましたが、老朽化により荒廃し、社殿も倒壊してしまいました。
平成十二年塩津氏子の有志により社殿を再建しました。旧社殿の御神体を丁重に安置して、御鎮座並びに竣工奉告祭を執行
し、神社の改築に合わせて本殿周囲の塀を復元し、由緒板を新設しました。 
また、境内を覆っていた竹を伐採し、入り口には多数の水仙を植えました。


荒神社遠景

荒神社

荒神社♦ 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町早島1137
荒神社は昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
千光寺裏手の墓地の脇に祀られており、社殿は御堂形式で、瓦葺きの社殿の中に宮形が安置されています。境内入り口には
石鳥居が建てられ、境内には石灯籠と幟石各一対があります。
平成四年に市場床田東、市場床田中、市場床田西、市場奥市場奥、市場奥市場前、市場城山団地、市場才尻組合の氏子によ
り、改築が行われました。
祭典は十月二十七日に氏子の組合が順番で奉仕しています。


荒神社

境内に咲くスイセン

荒神社♦ 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町早島1254
荒神社の旧社殿に嘉永三年(1850)建立の記録が残ります。昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
平成十四年に社殿の老朽化に伴い規模を縮小して改築を行い、改築前の社殿同様に本殿は独立せず、作り込みの形式をとっ
ています。石鳥居一基が境内に奉納されました。
祭典は十月二十七日に市場桜町、市場旭町、市場町市場東、市場町市場中、市場町市場西、市場中市場の氏子により、順番
で奉仕しています。


例祭時の荒神社

荒神社

荒神社♦ 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町早島1393
荒神社は昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
妙法寺隣に祀られており、祭典は十月二十八日で塩地の氏子が順番で奉仕しています。


荒神社

天満宮♦ 祭神 菅原道眞

鎮座地 都窪郡早島町早島1815
天満宮は、長津松ヶ岡の小高い丘の上に建立されています。この地は古くには古城があって、丘の南には天水神を祀った岩
が残ってました。
その後、太宰府天満宮から菅原神を勧請し、近郷の人々の厚い崇敬がありました。明治三十八年には鎮座一千年祭を執行し、
その記念として境内に記念碑を建立しています。昭和三十九年鶴崎神社への合併されました。
天満宮の名称は古い登記簿を見ると「天満天神社」となっており、何時の時代か定かではありませんが天満天神社と呼ばれ
ていた事があったようです。平成十六年社殿の老朽化により改築を行いました。
祭典は、五月第一日曜日に「大祈祷」と称する長津地区の安全祈祷が行われ、七月第四日曜日には、夏祭が執行されます。


天満宮

荒神社♦ 祭神 火之迦具土神

鎮座地 都窪郡早島町前潟164
昭和十一年に社殿を改築した際の寄付石に「延宝年間(1673〜1688)に前潟全土の開墾工事が完成し、美しく青い田が眼
前に展開すれば、国家安全と五穀豊穣を祈願して、早島町市場千光寺境内に鎮座の荒神社から御分霊を奉祀する。」と刻さ
れている事から創建は延宝年間と思われます。
また、宝暦十一年(1761)には荒神社の前のから、船で大阪に畳表を送ったとの記録もあり、船本(船積場)として早島の
港の要衝となっていました。
昭和五十七年の本殿屋根葺き替えの時にそれまでの檜皮葺きから銅板葺きに改められました。平成十一年鶴崎神社の飛び地
境内神社として合併されました。
平成十六年、県道藤戸早島線改修工事に伴い境内神社の恵美須神社の移転を余儀なくされ、場所を移して改築しました。
祭典は年始祭を一月十日、春祭を五月第四日曜日、秋祭を十月二十七日に執行しており、境内に祀られている恵美須神社の
例祭は一月十日に恵美須祭として行われています。


荒神社

恵比須神社

厳島神社♦ 祭神 市杵島姫命

鎮座地 都窪郡早島町早島2329
創祀は不明ですが、古くからこの地に祀られていました。明治二十五年本殿、拝殿の修理を行うと同時に、社殿の向きを東
向きから北向きに変更しました。
天満宮と同時に昭和三十九年鶴崎神社へ飛び地境内神社として合併されました。
平成十七年社殿の老朽化により改築を行い、平成十八年には内祀用の本殿も新調しました。また、境内の周囲が未だ海であ
った頃に、波打ち際で海水に洗われて露出したとされる巨岩が多数あり、往時を偲ばせる風光明媚な場所として早島十景
(町重文)の扁額に「弁天の浮見堂」として描かれています。
祭典は、春祭を五月第二日曜日、秋祭を十月第二日曜日に執り行っています。


厳島神社

境内に横たわる巨岩群

河内神社♦ 祭神 市杵島姫命

鎮座地 倉敷市早高669
境内を安芸の宮島のように島に似せるためか、周りは水路となっており神社が海に浮いているかのように見えます。
また、昔はこの地から早島の弁才天まで船が通っていたので、航海安全を祈願して建立されたと伝えられています。
昭和二十八年大規模な社殿の修理を行い、昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
祭典は、早高中北組合の氏子により、旧暦四月六日に春祭、旧暦九月六日に秋祭を執行しています。


河内神社

鳥居と神門

荒神社♦ 祭神 倉稲魂命

鎮座地 倉敷市西田210
荒神社の祭神の倉稲魂命は、通例では稲荷神社の祭神ですが、荒神社に祀られているのは、荒神信仰の広がりをうかがわせ
ます。また、西田は水田の多い地域なので、穀物の神を祀ったのかも知れない。
拝殿内にある「西田荒神祠廟の記」に次のように記されている。
「西田の三宝荒神社は郷内最古の神社で、稲倉魂神を祀り、創建は元禄年間(1688〜1704)とされる。承応年間(1652〜
1655)に木村九郎兵衛が水田等の用地確保のため、村の有志や役人と共に海の埋め立てを企て、元禄十二年(1699)に見
事二十四万六千坪の用地が完成し、人々にこの土地を解放し、荒神社を建立して夏と秋に祭典を行った。以来西田の村人は、
祭祀を厳修し、干ばつや疫病があると荒神社の神に祈った。するとその霊験は顕著に現れた。
このように西田は古くからあり、早島新田と称していましたが後に西新田と改称し、宝暦二年(1752)に西田村と改称し、
独立の一村となった。」
昭和三十八年鶴崎神社の飛び地境内神社として合併されました。
祭典は、春祭を五月第二日曜日、秋祭を十月第四日曜日に執行しています。また、境内に木野山神社が祀られており、七月
第二日曜日に本社である木野山神社(高梁市津川町今津)に代表者が参拝して祈願の上、疫病除けの神札を受けます。当日、

荒神社境内には「茅の輪」を設置し、木野山神社前で祭典を執行します。


荒神社

木野山神社例祭に境内に設置された茅の輪

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