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恒 例 祭

年始祭♦ 1月2日/午後2時

元日の早朝に宮中および全国の神社で、年頭の祭儀としてが行われますが、当社では1月2日午後2時から新しい年を寿ぎ、皇室の弥栄と国家の隆昌、氏子崇敬者の安泰を祈念して執行しています。


拝殿に参列する参拝者


祓詞を奏す宮司

八幡神社春季大♦ 月第3日曜日の前日/午後7時

5月第3日曜日の前日(春季大祭の前夜)午後7時から、拝殿左側に祀られている八幡神社で行われます。
この日は、夕刻から多数の参拝者があり、境内には露店が出店して賑わいます。

                               
            拝殿に参列する参拝者

春季大祭 月第3日曜日/午前10時

5月第3日曜日に大祭式で執行する春祭は、献饌行事が特殊神事の供膳祭(きょうぜんさい)として執り行われ、境内東入口にある供膳所に於いて神饌が調理され、境内に張った注連縄の伝供道を総代、幹事約40人により手渡しで、本殿まで運ばれる。


参進する神職、総代、幹事

祝詞殿に着席する神職

本殿に献饌する供膳

祝詞奏上する宮司

供膳♦ 月第3日曜日/午前10時

春・秋の大祭に神饌(お供え物)を献饌(お供え物を神に供えること)する儀式が一般の神社とは異なり、特殊な神饌を特殊な形態で神前にお供えするため、特に「供膳祭」と呼んでいます。供膳祭は当社の勧請もとの吉備津神社において、毎年春と秋の大祭に執り行われる「七十五膳据の神事」と非常によく似た形態です。
吉備津神社の「七十五膳据の神事」は、長い回廊の端にある御供殿において、七十五の神膳(お供え物)を調理します。それぞれの神膳には、必ず「御盛相」(おもっそう)と呼ばれる飯が中心に置かれ、魚、昆布、野菜等に柳の箸が副えれます。御盛相は春祭には白米、秋祭には玄米を使用して作られます。
祭りが始まると、御供殿から本殿まで百数十人の奉仕者が長い行列をつくり、順番に七十五の神膳を本殿内にお供えます。
当社においては、供膳所(お釜殿)で十九の神膳を調理します。お供え物は、供膳所内にある釜で2時間程蒸した4升の白米を、円筒形の竹型に適量入れ、押し寿司の要領で押し抜いて作る「御盛相」が中心となります。
神膳は本膳(朱塗りの鷺足膳)が3台、朱塗りの大三方が16台、合わせて19台と通常の神饌が11台の合計30台で
す。本膳には御盛相が杉の板敷きにのせられ中央に置かれます。その右に「盛り込み」という「おかず」が置かれます。
「盛り込み」は素焼きの皿の上に昆布を敷き、5種類の季節の生野菜(大根、人参、茄子、蓮根、芋)を適宜の大きさに切りのせたもの。また、御盛相の左には鯛を一尾置き、箸が一膳副えられます。
朱塗りの大三方には御盛相、小餅二ヶ、小鯛、果物がそれぞれ盛りつけられます。
祭りが始まると御身衣を着用した総代、幹事約40名が、本殿まで長い行列をつくり、手渡しにより神膳を本殿内にお供えします。
この「供膳祭」は通常の祭りでは献饌に相当するもので、神様に祭りの主旨を告げる祝詞奏上の前に神様に季節の様々な食物をお供えをする儀式であり、吉備津神社や当社ではその儀式が祭りの中枢を担っています。
このような形態の祭りは県内でも例が少なく全国的にもごく限られた神社に継承されているに過ぎず、その意味でも当社の「供膳祭」は貴重な伝統行事と言えます。


手渡しにより本殿へ献饌される供膳

雨儀により拝殿に並べられた供膳

供膳所に並べられた神饌

本膳

 30日/午後5時

当社では、「夏越祭」又は「輪くぐり祭」とも呼んでおり、蘇民将来伝説に基づき、輪くぐり神事と人形の神事も同時に行われます。
夏祭当日の早朝に茅を刈って、綺麗なものだけをより分けて境内に大きな輪が作られ、その輪を左、右、左と3回潜り参拝します。また、用意した茅で小さな輪を作り、家庭の玄関に掛ける事によって、疫病や災いを免れる事ができるとされています。
夏越祭では、予め配布された人形(人の身体に代えるもの)を撫で、息を吹きかけ神前に供える事によって体につく病魔、
怪我、心の病などを祓って元気に夏が過ごせるよう無病息災を祈願します。
午後5時から9時頃まで境内は露店で賑わいます。


茅の輪を潜る参拝者

用意した茅カヤで家庭用の輪を作る参拝者

秋季大♦ 10月第3日曜日の前日/午前10時

春季大祭と同様に、特殊神事「供膳祭」を織り交ぜた大祭で、伶人による雅楽のもと、総代、幹事40名による献饌が行わ
れ、皇室の弥栄国家の安泰、氏子の安寧、五穀豊穣が祈られます。


境内に列立する総代と幹事


神饌を伝供する総代と幹事


拝殿に参列する総代と幹事


祭典を奉仕する神職

八幡神社秋季大♦ 10月第3日曜日の前日/午後7時

摂社八幡神社の秋の大祭です。拝殿左側に祀られている八幡神社で執り行われ、境内には露店も出店して宵祭りの参拝者で賑わいます。

神幸♦ 10月第3日曜日/午前9時

当社の神幸祭は寛保元年(1741)に始まりました。当時は、弁才天の丘上(御休所)へ神輿を担ぎ上げ、御休場を設けて御旅所祭を執り行って還御となってました。この御休所は厳島神社から続く巨岩で出来た小高い丘で、御旅所祭を行ったと思われる社殿の礎石が残っています。
明和2年(1765)龍神社が鎮座する龍神山(祇園山)に御旅所設置の検分が行われ、この年から龍神社への御神幸が始まりました。
寛文年間まで吉備津神社から奉幣使が参向し、その後、早島帯江戸川両旗本の代参があり神幸祭は厳粛に執り行われました。
現在は、神幸ルートを大幅に拡大して、西田、高須賀、早高、弁才天、片田、塩津、前潟、船本を2基の神輿を中心に150
名の供人や鬼などが巡行します。また、神幸祭に併せ各地で子供神輿も巡行します。


神幸行列と神輿

獅子と子供の奉仕者

神幸行列に加わる鬼

弁才天御休所で御旅所祭を迎える2基の神輿

新穀感謝♦ 11月23日/午後2時

当社での新穀感謝祭は古くから行われている祭典で、稲の収穫が行われる10月中旬から11月初旬にかけて氏子が、予め配布
した供米袋に玄米又は白米或いは初穂料を入れ、当日神前に供え新穀の恵を感謝します。

新穀感謝祭で玉串拝礼を行う総代

月次♦ 毎月1日/午前9時

月次祭(つきなみさい)は、月ごとの報賽のために行う祭祀で、当社では1月を除く毎月1日午前9時から執行しています。
このお祭りは何方でも参列できます。また、参列の代表者には玉串を捧げていただいています。

月次祭に参列する氏子


 

 

 

 

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